日本人讨论中国籍人士在日本被排外
「中国人だけどいいやつじゃん」の違和感。日本での“中国籍”の生きづらさ译文简介
日本人的讨论
正文翻译
「中国人だけどいいやつじゃん」の違和感。日本での“中国籍”の生きづらさ
“虽然是中国人,但是个好人嘛”的违和感。在日本“中国籍”人士的生存困难程度
“虽然是中国人,但是个好人嘛”的违和感。在日本“中国籍”人士的生存困难程度
前文过长,现简略翻译如下:
报道截取了赵光的随笔集《外国人不沉默》中的段落:
周末人多拥挤的新宿站广场上停着的宣传车上传来男子的声音“在日外国人快离开日本,你们是个大麻烦!你们简直不是人,和蟑螂一样。”
在宣传车周围有着数十人,他们举着写有歧视性语言的宣传板并张开、“南京慰安妇是捏造的”,配合着宣传车的男人的吆喝声叫嚷着,简直就像地狱一样。而我其实只是想在新宿看电影而已。
街上来来往往的人们都装作完全看不到宣传车的样子、目不斜视的走了过去。这样的场景不由让人觉得恶心,也有些令人感到害怕。
我在日本长大说着日语,学习着日本的文化,但一次也没有觉得自己是日本人,因为我的籍贯是中国。如今长大了也没有办理归化手续。仅仅是这一点,我也强烈地觉得自己是中国人,周围的人也都是这样对待我的。以前还曾经被喜欢的人介绍为“一叫就来的中国人”。海外旅游回日本的时候会被提取指纹。我的护照和大家的颜色不同,签证的取得也很麻烦,必须拿着“外国人登录证”,如果一不小心弄丢了,父母的脸就会变得刷白。一直以来,我都被说你不是日本人,而我也是这么认为的。
我的中文只达到会说日常交流的程度,一年只去一次天津的奶奶家,但我依然是中国人,我不是日本人。
有时有的人也会对我说“不,你已经基本是日本人了,所以没问题。”但我总是在想这个‘基本’是什么意思?而且我出生在日本和大家一样普通地长大,也从未想过“比起中国人,我更想成为日本人!”,就好像日本人更了不起似的,但是被别人这么说的话还是会生气,因为这好像是被亲近的人当做了傻瓜一样。
一直以来都听到了对中国人不信任和厌恶的声音,所以我一直都在拼命的做好自己,以反驳日本人对中国的偏见,在这样的环境中,我活得很累。
后来到了纽约之后,发现大家都把我当做是个日本人。而在面对来自中国的学生时,我也明显感觉到文化和语言是有差异的,也加入不了中国人团体。一直以来的自我印象逐渐崩坏,并且不知道自己一直所守护着的中国人这个标签有什么意义...我在纽约和亚洲人交朋友,大家文化相近,容易沟通,经常互相帮助,但我总是在想,为什么在日本不会发生这样的事呢?虽然对于自己的文化感到自豪是很重要的,但我很好奇的是,为什么有人无法互相分享、以丰富自己人生呢?
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残念ながら、日本で日本人として産まれても、似たような感覚は存在する。
学校とか会社などという小さな小さな村社会に常に属していないと安心しないのが、日本人で自分より全体主義として安心する。
日本人の多くは染められた価値観をアイデンティティだと勘違いして育つし、自分なりの考えを持っても実行できる人は少ない。
日本でアイデンティティを持っていると孤立した感覚になりやすい。
そういう感覚があった人が漫画やドラマをたくさん描いているし、時には厨二病とも言われる。
海外では自分らしさについて考える機会が多い。
それに日本人は未だアジア人に偏見があり、欧米人に憧れを持っている人も多い残念な人が多い。
マイナス要因が重なってしまって残念だ。
遗憾的是,即使在日本出生时就为日本人,也会有相似的感觉。
如果不经常隶属于学校、公司等像小村庄一样的社会的话,就不会感到安心,因为日本人觉得比起个人主义,集体主义更让人放心。
大多日本人把被植入的价值观当做日本人的独特特性而长大成人,即使有的人拥有自己的想法但也很少有能够能够执行的。
在日本如果你‘不同’的话,就会有孤立的感觉。
有这种感觉的人很多漫画和编了很多电视剧,但却时常会被人称之为中二病。
在外国就有很多机会思考自己本该如何。
而且日本人中至今仍对亚洲人抱有偏见,对欧美人抱有憧憬的人很多,有很多都挺可悲的。
日本国中负面的因素层层堆积、实在是令人觉得遗憾。
中国で生まれ、中国で暮らす日本人も同じ事があるだろう。
違う国で生活する以上、解決出来ない事も
あるだろうと思う。
文化や価値観も違い、起こるべくして起きている
問題。
日本社会で解決できない問題。
日常生活でさ、日本人でも他の国の人でも、日本社会に役に立っている人は大切にしてもらえ、役に立たない人には冷ややかになるのは、やむを得ない。責任を果たさない、手を抜く、一生懸命働かない、給料は同じだと主張したり、
自分の利益を主張するばかりの人は疎まれたり、悪口を言われたり、居場所がなくなる。
自分のメリットを主張したり要求は控え目にする方が日本人は好むかもしれない。
相手の考えやメリットを大切に
する姿勢を評価するかもしれない。
そういった行動の積み重ねを見せる事で信頼関係を築く事が出来て、居場所が出来ると考えて仕事をしている、私の話。
在中国出生在中国生活的日本人也会遇到同样的问题吧。
生活在不同的国家的话,肯定会有无可奈何的事的。
毕竟文化和价值观不一样,这种问题是无法避免的。
而日本街头的抗议是由中国引发的问题、是日本社会无法解决的。
在日常生活中,无论是日本人还是其他国家的人,对日本社会有帮助的人都会受到重视,对没用的人变得冷淡是很正常的。不履行责任、偷懒、不拼命工作、主张工资相同、一味主张自己利益的人会被疏远、说坏话,从而失去立足之地。
如果能够抑制主张己方的好处或者是要求,更重视对方的想法和好处的话日本人会更喜欢的,我认为最好不断通过这样的行动来构建起信赖关系,以能够构建出自己的容身之处为前提地工作才是。
人種の問題に限らず、同国籍でもイジメの問題や男女差別の問題など色々あって、人が人を蔑む環境はどこへ行っても少なからずあるもの。
これはどこの国とか関係なく大なり小なり起こりうる問題なのかなと思います。
例え日本人であろうと、居心地の良い場所は自ら探し出して移り住めば良い話であって、日本各地で街宣車が常に声を上げているわけでもない。
自らの意見を他人に押し付けて、こうあるべきだと言う主張は、ご本人が嫌悪する街宣車と同じではないだろうかと、思う。
不仅是人种的问题,即使是同国籍也有欺凌和性别歧视等各种各样的问题在,无论去到哪里都会有歧视人的现象的。
我觉得这和特定国家无关,或大或小的歧视在哪都是可能发生的。
如果作者是日本人的话解决的方式也很简单,只需要自己找个感觉舒适的地方移居就是了,总不可能日本各地的街头总是有宣传车在大声喧哗的吧。
把自己的意见强加于人,说日本应该是怎样怎样的主张的做法其实是和作者厌恶的街道宣传车一样的吧。
自分が勤めている会社は、中国支社があって日本語話せる人達が揃っている。
真面目で優秀な印象。
自分は中国は出張経験しかないけど、普通に受け入れてくれた。仕事やる人達とは当たり前ってだけかもしれないが。
出張中の休日に出かけると、戦時中日本はここまで攻めてきたって石碑があったりちょっと悲しくなるが、それを個人攻撃はして来なかった。
国の規模ではいろいろあるが、個人では人によるのでレッテル貼らずに付き合うことだと思うけど。
我工作的这家公司在中国有分公司,那公司里有很多会说日语的人。他们给我的印象是很认真且优秀。
虽说我在中国只有出差的经验,但大家也都很普通的就接受了我。不过对于工作了的人来说,也许这是理所当然的事吧。
我出差时在周末外出时发现那里有块石碑写着当年战争时日本打到了这里,让我觉得有些悲哀,不过倒是没有人对我进行个人攻击。
虽说在国家层面上有很多我不理解的,但在个人交往层面上的话。还是不建议给对方贴标签。
日本での親の教育が1番影響するのかもしれないですね。今は保育園、幼稚園から色んな国の子と過ごし
その国の言葉を皆が覚えると言うのが普通ですが、
昔は色々な国の言葉を習う習慣が無く
日本語を話せないと距離を置いてしまう人達ばかり
だったと思います。
だけど、今は色々な国の子達と小さい時から
一緒に育っているので、私の子供達も何かあれば
お互いに心配したりと国籍て何?て思うぐらい
普通に過ごしています。
親は子供に国籍では無く人間として
人に優しく助けあって行かないといけないことを
教え自分も子供の見本になることが大事だと思います。
我觉得歧视问题也许和日本父母的教育最有关。如今日本的孩子从保育园、幼儿园开始就和很多国家的孩子一起度过,都了解对方国家的语言。但以前人们并没有学习各个国家语言的习惯,如果对方不会说日语的话就会与保持距离。
现在各国的小孩都是在一起长大的,像我家的孩子们都会很关心他的朋友,甚至没想过国籍的差异。我觉得父母一辈的人在教导孩子时不是教导先看对方的国籍,而是作为人必须要对他人亲切、有困难相互帮助,并且平时要注意做好孩子的榜样才是。
中国にしばらく前まで仕事の関係で駐在していたものです。
コメント欄を見ると[中国で暮らす日本人も同じ事がある]との声が見受けられますが、
自分が居たときはそのようには感じられませんでした。
どちらかというと現代日本に対してそこまで興味持ってない印象を受けました。(報道等見ても日本に関する報道はほぼ皆無で、国際報道に関しては基本アメリカの動向がメイン)
中國経済の発展、優秀な人材数等は目をみはるものがあるのが中国で勤務して受けた正直な感想で、それがある為、日本及び日本人に対する注目度が激減し(中国のsnsでは、日本に関する記事は非常に少なく、あったとしても経済衰退原因に関する記事が殆ど)、逆に日本は経済の衰退とともに社会がより排他的になってるのかな〜って勝手に思ってしまいました。
不久之前我因为工作的原因在中国常驻过一段时间。
我在评论区里看到有人说“在中国生活的日本人也是同样的遭遇”,但我想说的是我在中国的时候并没有那种感觉。
而是感觉到他们对现代的日本并没有那么感兴趣(从报道等来看,几乎没有关于日本的报道,国际报道基本上以美国的动向为主)。
中国经济的发展、优秀人才数量等令人瞠目结舌才是我在中国工作时的真实感受,正因为发展情况如此,他们对日本及日本人的关注度锐减(在中国的社交媒体上,关于日本的报道非常少,即使有也基本都是关于经济衰退原因的报道),在中国的经历,甚至让我开始觉得日本是不是在经济衰退的同时,社会也变得更加排外了呢。
私が知っている中国人は皆、情に厚い。
昔、在日の同級生が居て普通の友達くらいの距離感で接して居たんだけど、いざこちらが困った時に誰よりも先に手を差し伸べてくれた。
大人になってから知り合った人達もそう。
中国人の価値観の中で「家族を大切に」というのがあって、それは友人にも通ずる、だから助けるのは当たり前という事を言われた事がある。
良い人も悪い人もどこの国にも居るのが当たり前でこの国の人間だからという理由で一括りにするのは違うと思うし、一対一の人間として過ごす時に政治的思想や宗教的思想なんて関係ない場合が殆どだと思う。
我认识的中国人人情味都很浓。
以前我有一个在日中国人同学,和他的交往就像和普通的朋友一样、很并没有过分热情地接近他,但我要是有困难的时候,他会比谁都先地向我伸出援助之手。
长大之后认识的中国人朋友也都是这样。
中国人有一种要‘珍惜家人’的价值观,对于朋友也是这样,所以我曾经听他们说“帮朋友是天经地义的”。
无论哪个国家都是有好人和坏人的,所以一听对方是哪国人就一言蔽之地说对方如何如何是错误的,另外,个人对个人的所有交往几乎都是不涉及到政治思想和宗教思想的。
人はどうしても分かりやすい違いをみつけては、それをベースに話をしたがりますね。国籍だけではなく、性別、出身地、更には血液型まで。
大半の人はただのネタとして話をしてるだけで、いちいち傷付いていたらきりがないのだけど、ヘイトは良くないです。が、残念ながら一定数ヘイトしたがる人たちもいるので、そこは無視するしかないのかな。
アメリカにも色んな問題はあるけど、様々なバックグラウンドを持った人たちが普通に生活できるというのは、素晴らしいことだと思います。
人总是想找到浅显易懂的区别,然后以此为基础来分类对方。依据不仅仅是国籍,性别、出生地,甚至是血型都可以。
虽说我觉得大多数人都是在玩梗,如果对每一个梗都玻璃心的话那简直会没完没了,但真正的仇恨性歧视确实是不好。而且很遗憾的是,确实有一定数量的人是抱有仇视性歧视心态的,所以我们能够做到的只有无视他们而已。
虽然美国也有各种各样的问题,但是拥有各种各样不同出身背景的人们,能够正常的生活还是非常了不起的。
中国人を雇っているが、真面目だし努力家だし、日本語をここまで話せるってだけでもすごい。私は英語も大学の副専攻で学んだ中国語もここまで話せないから。
ただ習慣の違いは確実にある。
そして日本人でもあるあるの個人差も当然ある。散らかし魔だったり、お金持ちの家の一人っ子だから親が金銭面で子供に激甘。本人もそれが普通で生活してきたから、生活できるだけの給料を渡しているけどその給料だけで生活をすることができない。基本、親のカード払い。
従業員のプライベートな部分だから口出しはできないけど、見ていて将来が不安になる。
我的员工有中国人,他工作既认真又努力,而且光是日本能够十分流利,就让我觉得很厉害了,我无论是英语还是在大学辅修的中文都没办法达到那个程度。
不过习惯确实不同。
不过日本人也不是每个人都一样的,比如说有的人不爱收拾,有的人是有钱人家的独生子、父母在金钱方面非常宠爱他,造成金钱价值观方面有误差,明明已经发给他足够生活的薪水,但是却过不了日子。然后基本都是刷父母的信用卡。
这些毕竟是员工的私人自由,所以也插不了嘴,但是我在旁边看着就觉得为他们的未来着急...
他人の国に住むのだから致し方ないと思うが、その中でも国籍人種を超えて分かり合える人と出会える事もあるし、残念な人に関わる事もあるだろう。
でも日本に住む日本人だって確率的に低いだけで嫌な思いは誰にでもあるよ。
あまり悲観的に考えず前向きに生きる事が1番重要だと思いますけどね。
毕竟是住在别人的国家,所以会发生这样的事也是没办法的。而且即便是在这种局面中,也是能够遇到超越国籍、人种、相互理解的人的。反过来想既然会遇到好人,那也肯定有几率会遇到坏人啊。
另外虽说概率低,但住在日本的日本人也都有糟糕的经历的。
我觉得不怎么悲观地思考、积极地生活才是最重要的。
どこの国にも良い人も悪い人もいる。その割合が多いか少ないかだけです。国内でも出身地域でもそう見られることもあります。
大半の人は人を外見から見ます。そこから中身をどうみるかです。中身を見る力のない人が大半(中身を見るのは難しい)だから、そういうことになります。だから、外見を整えたり、喋りが上手いような人がいます。頑張れば本当に人の中身を見てくれる人はいます。
无论是哪个国家的人都有好人和坏人。区别只是比例的多少而已。即使同为日本人,也会因为出生的地域不同而受歧视。
大部分人都是先以貌取人,然后再去接触对方的内在。但因为大多数人都没有看人内在的眼光(这确实很难),所以就会发生这种事。因此有的人会整理自己的外表,让自己能说会道。如果做出这些努力的话,还是会有人能够看到自己的内在的。
留学、赴任、出張経験ありますが、人種で第一印象を判断されるのは、日本だけじゃないですからね。。。。小さな島国の日本ですら、県民で第一印象を判断しますし、どこまで差別か区別かは難しいですよね。
自分のアイデンティティへの認識、価値観を広げるためにも、年齢問わず海外との触れ合いは積極的に増やしてったほうがいいと思いますね。
我在海外留学、赴任、出差过,所以我可以说依据人种来判断第一印象的做法,并不只有日本独有。。。。。即便是小岛国的日本的人民,也会依据县的不同来判断对方给人的印象,所以想要区别这是否是歧视还是挺难的。
为了扩大对自己身份的认识和价值观升级,我认为不管年龄是大是小都积极地增加和海外的接触比较好。