【書評】東洋史の学者が日本史を語る 日本史は中国のコピーから始まった

【书评】东洋史学者讲述日本史是从‘复制’中国开始的
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【書評】『中国史とつなげて学ぶ日本全史』/岡本隆司・著/東洋経済新報社/1760円

【評者】川本三郎(評論家)

 東洋史の学者が日本史を語る。異例な試みだが、著者は、日本史を日本だけで完結させず、東アジアで圧倒的な存在の中国の歴史と関わらせて語ってゆく。新鮮。そもそも国家は農耕民と遊牧民が出会う境界線上に生まれたという。違う両者の物々交換の交易にせよ、トラブルの解決にせよ、そのためにまず聚落が生まれ、文字が生まれ、やがて国家が誕生する。

【书评】《与中国史联系起来学习的日本全史》/冈本隆司著/东洋经济新报社/1760日元
【评论员】川本三郎(评论家)
东洋史的学者在讲述日本史时进行了特殊的尝试,并没有仅是研究日本史,而是将其与在东亚拥有压倒性存在感的中国历史联系在一起进行阐述,这种做法更能给予人新鲜感。国家这个概念原本就是在农耕民族和游牧民族相遇时诞生的。在双方进行以物换物交易、或是在解决纠纷时逐渐产生了聚落,而后又产生了文字,不久之后便是国家的诞生了。

 中国は境界線を持っていたので早くから国家が誕生したが、島国の日本は境界線がなく、文明、国家の成立が遅れた。遅れた日本は中国を模倣することによって国家を作っていった。著者は古代から記述を始める。きわめてスケールが大きい。
 日本史は中国の“コピー”から始まった。しかし、やがて日本は平安時代に入ると徐々に中国から離れ、自立してゆく。
 日本は江戸時代になると社会は安定してゆく。ここで著者が「凝集」という言葉を使うのが面白い。江戸時代、士農工商などの身分制度はあったが、社会は農民を中心にしたフラットな一体化社会だったという。とくに「民治」という言葉があるように、権力者はつねに民のことを考えていた。

中国因为有两种‘民族’的分立,所以很早国家就得到诞生,但是岛国的日本并没有,所以文明、国家的诞生就推迟了。其后落后的日本通过模仿中国建立了国家。
作者从古代开始描述、格局非常大。
日本史是从“复制”中国开始的。但是,不久日本进入平安时代后就渐渐远离中国,开始自立。
日本到了江户时代社会就安定下来。在这里作者使用了“凝集”一词,很是有趣。江户时代,虽然有士农工商等身份区别制度,但社会还是一个以农民为中心的扁平一元化社会。特别是就如“民治”这个词的意义一样,代表着当权者常常为人民着想。
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 一方、中国は伝統的に官と民が乖離している。「日本はもともと大半が農民のフラットな社会であり、中国は中央と庶民が分離した二元社会です」。この違いが大きい。
「もともと中国の支配層には、庶民を見下す体質があります。外国を見下す体質もあります」
 国の構造が違っているから対立はやまない。明治以降の日本の対外進出は、そもそも「凝集」の国であった日本には無理があったという指摘も納得しうる。
「凝集的な日本が対外的に肥大化しなくてはならなかった無理なプロセスが、日清戦争以後『終戦』までの日本史です」
 戦前、石橋湛山が唱えた「小日本主義」(植民地を持たない)が改めて重要な考えになってくる。
※週刊ポスト2022年1月1・7日号

另一方面中国历史上官民是背离的。书中提及:“历史上日本是一个大部分人都是农民的扁平社会,中国是一个中央和平民背离的二元社会。中国的统治层就有轻视平民的特色。也会轻视外国。”
因为国家的构造不同,分歧不断发生。所以“凝聚”型国家的日本在明治以后的对外发展路线其实实行起来很勉强的。“‘凝聚型’的日本对外不停地勉强扩张过程,就是中日战争直到终战的那段日本史。”
战前,石桥湛山提倡的“小日本主义”(没有殖民地)再次受到了人们的欢迎。
※周刊Post 2022年1月1、7日号