生徒からの「なぜ作文を習うの?ムダだね」に、教師の神回答

学生问“为什么要学作文?没啥用啊”,老师的神回答


生徒の疑問…「なぜ作文を習わなくてはいけないの?」

学生的疑问:为什么非学作文不可呢

種子学園の子どもたちの最大の特徴の1つは、想像力が豊かなことだ。彼らはいつも摩訶不思議な問題を持ち出してきては先生と討論する。大人がこうすべきだと思っても、子どもが納得しなければ、問題はもっと多くなる。しかし、理屈がわかれば、特別なケースを除いて、生徒たちは自分を納得させて実行することができる。だからこのような前もっての討論には、私は喜んでお付き合いする。
第1回目の作文の授業のとき、2年生の威威(ウェイウェイ)が質問してきた。「ぼくたち、どうして作文を習わなくちゃいけないの? ぼくは字も書けるし、本だって読めるのに、先生はぼくたちに毎週3回も『心の記録、生活のシルエット』を書かせて。意味がないね、これは。書くようなものはないからね」。

幼儿园的孩子们最大的特征之一是想象力丰富。他们总是提出一些离奇的问题来和老师讨论。即使大人认为这样做是天经地义的,如果孩子不理解的话,问题就会更多。但是,明白了理由的话,除了一些特别的事例,学生们都可以让自己接受并实行。所以对于这种很有预见性的讨论,我很乐意和他们交流。
第一次作文课的时候,2年级的威威提问了我们为什么要学作文呢?我能写字,也能读书,但是老师每周让我们写3次《心的记录,生活的轮廓》。这没有意义,因为没有什么要写的东西”。

「君は毎日の出来事で何も書くことがないって言うの? それとも作文なんか書く必要はない、と思ってる?」先生は笑いながら尋ねた。「これはまったく別の問題よ。君が言いたいのはどっち?」
威威はすぐには返事を返せなかった。授業の鐘が鳴ったので、先生は威威の手を引いて一緒に教室へと入っていった。
15人の生徒が目を輝かせながら先生を見ている。点呼を取り、生徒全員が自分の席に着くと、先生は威威の問題をクラス全員で討論することにした。

“你说每天发生的事情什么也写不出来吗?还是说没有写进作文的必要?”老师笑着问:“这完全是两个不同的问题。你想说的是哪一种?”
威威没有马上回答。下课铃响了,老师牵着威威的手一起进了教室。
15个学生目光炯炯地看着老师。点名后,全体学生坐在自己的座位上,老师就威威问题进行了全班同学的讨论。

文字は「自分の考え」を伝える最も便利な手段だが…

文字是传达“自己想法”的最方便的手段…

「どうして作文を習わなくてはならないんでしょう?」
みな、しんと黙っている。
先生は黒板に1人の人を描いて、その人の向かい側にもう1人の人を描いて言った。「もしこの人が、別の人に自分の考えを理解してもらうにはどうする?」
「彼に話せばいい!」みんなは異口同音に答えた。

“为什么一定要学作文呢?”
大家都一言不发沉默着。
老师在黑板上画了一个人,在那个人的对面画了另一个人,问道:“如果这个人想让别人理解自己的想法,怎么做才好呢?”
“跟他说就好了。”大家异口同声地回答。

先生は「話す」と書いた。
「どう話す?」また先生が尋ねた。
「こう言えばいい」。1人の子どもが自分を指さしたのでみんな笑い出した。
「ほかの人が聞いてわかる言葉で話す」。子どもたちが意見を言い始めた。「言葉がわからないならジェスチャーでもいいよ」。「それは”手話”っていうんだよ!」知識が豊かな如如(ルル)がすぐに説明し始めた。先生はずっと黒板に子どもの意見を書き記していた。
「音楽はどうだろう?」
「いいね。そんなに簡単じゃないだろうけど」
「絵を描くのは?」
「いいんじゃない? でも、やっぱり簡単じゃないよね」
「字を書くのは?」

于是老师写下了“说”一字。
“怎么说呢?”老师又问了。
“这样说就行了”。一个孩子指着自己,大家都笑了起来。
“用别人听得懂的语言说话”。孩子们开始提意见了,不懂语言的话,就用手势也可以,这就叫做“手语”,知识丰富的如如同学马上就开始解说了。老师一直在黑板上写着孩子的意见。
“音乐怎么样?”
“真好啊。虽然不是那么简单”
“用画怎么样?”
“不也挺好的吗?但是还有有点难啊”
“写字也可以试试?”

「それもいいね。だけどほかの人が見てわからなければだめ。目が見えない人には聞こえるもので、聞こえない人には見えるもので。見えないし聞こえない人には触ってわかるやり方(点字)で。どの方法も相手が理解できなきゃだめ。話すこと、文字を書くことは最も便利な方法よ。だけど距離が遠くなると音声表現は制限を受けるから、文字が非常に必要なものになります」
「アリの友だちのイモムシが遠くへ引っ越しました。アリはイモムシを懐かしく思い、葉っぱをかじって3つの穴を開け、こう表現しました。“君が懐かしいよ”。そしてそれを郵便でイモムシに送りました。イモムシは手紙を受け取ると、やっぱり3つの穴を開けてこう表現しました。“読んでも意味わかんないよ”。そしてまたアリに送り返しました。6つの穴が開いた郵便を受け取ったアリは、どうすればいい?」

“那也不错。但是别人看不懂的话是不行的。眼睛看不见的人能够听到信息,听不见的人能看见信息。用看不见听不见的人可以触摸到信息(盲文)。不管是什么方法,都要让对方理解。说话、写字是最方便的方法。但是距离变远的话声音表达会受到限制,所以文字是非常必要的”
“蚂蚁朋友的毛毛虫搬到了很远的地方。蚂蚁很怀念毛毛虫,咬着树叶开了三个洞,通过这样表达出了我好想念你”。然后它把那个树叶用邮件发给了毛毛虫。毛毛虫收到信后,还是一样开了三个洞,这么写我根本不知道什么意思啊”。然后又把它送回了蚂蚁。蚂蚁收到了有六个洞的邮件,怎么办才好呢?”

「作文の授業は、みんなに書く方法を教えて、直接会って話さなくても、他人に――1人だけじゃなくたくさんの人に自分の考えを伝え、自分も他人の考えが理解できるようになるのよ」。先生が説明した。
「それじゃあ、ぼくは字が書けるだけでいいよね」。威威は自分の主張をあきらめない。
「文字が書けるってことと文字を使えるってことは同じじゃないのよ!」先生が黒板に「信、達、雅」の3つの文字を大きく書くと、みんな目を真ん丸にした。

“在作文课上,教大家怎么写,即使不直接见面说话,也要向别人——不仅仅是一个人,还要向很多人传达自己的想法,自己也能理解别人的想法”。老师这么说到。
“那么,我只要能写字就好了”。威威同学还是不放弃自己的主张。
“会写文字和能使用文字是不一样的哟。”老师在黑板上写了大大的“信、达、雅”三个字,大家的眼睛都瞪圆了。

作文の授業で“真実に・正確に・優雅に”表す方法を学ぶ

在作文课上学习“真实、正确、优雅”的表达方法


「”信”は“真実“の意味です」。先生は例を挙げて説明を加えた。「もし、君が泳げないのにこう書いたとする。“ぼくが一番得意なのは自由形です”。これを見たら先生は君に、みんなにお手本を見せてくれと頼むかも。そしたら君はいったいどうする?」
「“達”は“正確に表現する”の意味です。君は私に、鉛筆を1本買ってほしかったんだけど、卵を2ダース買ってほしいと書いちゃった。どうする?」威威は大笑いだ。「ぼくはそんなにばかじゃないぞ」。「それはわからないわね!」先生は笑い出した。
「“雅“は何?」
「それは“優雅“だろう!」如如が発言した。

“信”是“真实”的意思。老师举例加以说明,“如果你不会游泳,你却写道‘我最擅长的是自由泳’,然后看到这个的老师,叫你起来给大家做个示范,到时候你要怎么办?”
“‘达’是‘正确表现’的意思。你想让我买一支铅笔,但却写了想让你买两打鸡蛋。那怎么办?”。威威同学大笑道:“我可没那么笨啊!”,老师却笑道:“那谁知道呢?”
“‘雅’又是什么?”老师问道。
“指的是‘优雅’吧?”如如同学这么回答道。

「“優雅“って何?」先生も意味がわからなかった。
「ハア! これは説明が難しいよ! 一種の感覚だよ! 見て気分がよくなるものなんだ!」如如は少し焦って説明したが、先生は同意の意味で頷いてくれた。「そうよね、これは説明が難しいよね。でも、他人が見て気分がよくなる感じとすると、文章が正しい感情を正確に表していたとして、ほかにどうやって読む人の気分をよくする?」
「文字をきちんとそろえる」。「書いたり消したりしない」。「悪い言葉を使わない」。子どもたちは少し沈黙してから言った。「もっとあるはずだ」。
先生が説明を付け足した。「作文の授業は、どうすれば自分の考えを真実に、正確に、そして優雅に表せるかを学習するものです」。

“优雅是什么?”老师也不明白意思。
“哈!这个要说说明起来有点难的,指的是一种感觉哟!是一种看了之后心情会变好的东西”如如同学急着解释了一下,老师点了点头表示同意:“是啊,这个很难说明。不过要让看的人感觉到心情好,文章就需要表达出正确的感情,除此之外还要怎么做才好呢?”
“整齐地对齐文字”。“不进行文字的涂改”。“不使用不好的词汇”。孩子们沉默了一会儿说道:“应该还有更多”。
老师又补充了说明。“在作文课上,我们要学习的就是怎样才能真实、正确、优雅地表达自己的想法”。

「じゃあ、なんで『心の記録、生活のシルエット』を書かないといけないの? それも毎週3回もね」。威威はまだあきらめない。
「『心の記録』は君が心で思ったこと、『生活のシルエット』は君がしたこと、つまり、日記を書くことなんです。君たちの作文はまだ基礎段階に過ぎないの。先生は君たちが自分と関係のあることを書いてほしいのよ。そして君たちの書いた内容から何か手伝えるところを探してあげる。別に週3回だけでなくてもいい。5回でも10回でもいいのよ。たくさん書いてください。作文で中級や上級の段階になったら、きちんとした作文の技術を教えてあげるから」

“那么,为什么就必须写‘心的记录、生活的轮廓’呢?”?而且每周3次呢”。威威同学还没有放弃。
“‘心的记录’是你心中所想的,‘生活的轮廓’是你做的,也就是说,要写日记。你们的作文还只是基础阶段。老师希望你们写和自己有关的事情。然后我会从你们写的内容中寻找可以帮助你的地方。不单是一周3次也可以。5次10次都可以。请尽量多写。作文到了中级或高级阶段,我就会教你正规的作文技术”

「じゃあ、先生の言っているのは、ぼくが書くんだったら、何を書いてもいいってこと?」如如はまたそうひと言加えた。先生はちょっと考えて頷いた。「そうね、君が書くつもりなら、何でも書いていいわよ。でも絶対に本当のことを書いてほしい」。
「ファンタジーを書いてもいい?」
「自分で考えついた内容なら、真実ともいえるからもちろんいいよ」
「っていうことは、人のを真似たのじゃなく、自分で書いたらいいってこと?」
「そういうこと」

“那么,老师说的是,如果是我写的话,写什么都可以。”如如同学又问了一句。老师想了想,点了点头说:“是啊,如果你打算写的话,什么都可以写。但是一定要写下真实的内容”。
“写想象文也可以吗?”
“如果是自己想到的内容,也可以说是真实的东西,当然可以。”
“这么说来,不是模仿别人的,而是自己写的就可以了。”
“就是这样。”
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本や詩は「どのように表現するか」がわかる教材

书和诗是可以让人学到“如何表现”的教材

「でも、作文の授業では、ぼくたちにことわざを書かせるし、詩を暗記させたり、いっぱい本を読ませたりしているよね。あれはなぜなの?」鈞鈞(ジュンジュン)が別な問題を切り出してきた。
「ほかの人がどういうふうに自分の考えを表現しているのか参考にするためよ。たくさん読んで、たくさん覚えて、お腹のなかにたくさん蓄えたら、将来それを使えるでしょう! “養兵千日、用在一時(兵を養うこと千日、用は一時に在り。訳注:長期にわたって兵を養うのはいざというときに役立てるためである)“、“巧婦難為無米之炊(巧婦も無米の炊は為し難し。訳注:やり繰り上手な嫁でも米がなくては飯が炊けぬ。つまり、「無い袖は振れない」という意味)”、“熟読唐詩三百、不会作詩也会謅(訳注:唐詩300首を熟読すれば、詩はつくれなくとも吟じることはできる)”、なんていうのは聞いたことあるでしょう?」

“但是,在作文课上,让我们写谚语,让我们背诗,让我们读很多书。那是为什么呢?”钧钧同学提出了其他问题。
“为了参考别人是怎么表达自己的想法。读了很多,记住很多,肚子里存了很多,将来就能用了吧,正所谓养兵千日,用在一时;巧妇难为无米之炊;熟读唐诗三百首,不会作诗也会诌。这类的话应该都听过吧?”

先生が繰り出すことわざの数々に、作文基礎レベルの子どもたちはびっくりして受け入れた。彼らはこう思ったかもしれない。この先生の知識の量はすごいって。そしてやっと落ち着いて授業を受けた。すべての作文の先生がこんな出来事に出会うものなのか、私にはわからない。だが、子どもに付き合って、ともに本質的問題を考えることを、私は本当にうれしく思う。

对于老师所说的许多谚语,作文基础水平高的孩子们都很吃惊地接受了。他们可能是这样想的。听说这位老师的知识量很大。然后终于平静下来听课了。我不知道所有的作文老师都会遇到这样的事情。但是,和孩子交往,一起考虑本质问题,我真的感到很高兴。