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21世紀に入って、ビジネスや旅行など多方面で日中交流が活発になり、中国人は日本人に様々な印象を抱くようになった。良いものもあれば、当然、悪いものもある。今の中国人が持つ「日本人イメージ」を取材した。(ジャーナリスト 姫田小夏)

姫田小夏,新闻工作者
进入21世纪后,随着商务、旅游等多方面的中日交流变得越来越活跃,中国人对日本人产生了各种各样的印象。有些是正面的,当然也有些是负面的。采访了中国人现在对日本的“日本人印象”。

かつて、中国人が抱く日本人像は単一なものだった。映画やドラマを通してみる日本人像は、軍人、亭主関白、良妻賢母というのが典型的なイメージだった。ところが、21世紀に入り経済交流や民間交流が活発になると、より“リアルな日本人”に接する機会が増え、そのイメージは大きく変化する。

过去,中国人对日本人的印象是单一的。通过电影和电视剧看到的日本人的典型形象是军人、大男子主义、贤妻良母。但是进入21世纪以后,随着经济交流和民间交流的活跃,接触真实日本人的机会增加,其形象也发生很大的变化。

日本人像を巡って近年、中国人が“刮目”したのは「匠の精神」だ。ここ数年、書店には「匠の精神」をテーマにした書籍が並んでいる。「脇目もふらない、一心不乱のものづくり」という日本人の集中力は中国人の間でも広く知られるようになったが、中国の要人でさえも、これに一目置いている。

近年来,中国人对日本人的印象刮目相看的是“工匠精神”。最近几年,书店里摆满了以“工匠精神”为主题的书籍。日本人“专心致志”的专注力在中国人当中广为流传,就连中国的重要人士也对此表示赞赏。

今年2月、国務院国有資産監督管理委員会が発行する雑誌『国資報告』に「“工匠精神”縦横談」と題した文章が掲載された。「工匠精神」とは「匠の精神」の中国語である。文章は冒頭で、迎賓館や国会議事堂の家具を手掛けた有限会社秋山木工(神奈川県)の代表取締役秋山利輝氏を紹介しつつ、「この『匠の精神』の不足が中国製造業の発展のボトルネックになっている」と述べている。中国では、どのようにしてこの「匠の精神」を高めることができるのか、国を挙げたテーマとなっているようだ。

今年2月,日本国务院国有资产监督管理委员会发行的杂志《国资报告》上刊登了题为《工匠精神长谈》的文章。“工匠精神”是“匠之精神”的中文翻译。 文章的开头介绍了秋山木工(神奈川县)的董事长秋山利辉,秋山利辉负责迎宾馆和国会议事堂的家具制作, “这种工匠精神的缺乏已成为中国制造业发展的瓶颈。”他说。在中国,如何才能提升这种“工匠精神”,似乎已成为举国上下的主题。

実際、上海同済大学のMBAコースで学ぶ張艶さん(39歳)は、「中国人と日本人との違いは何かを考えたときに、『匠の精神』が決定的な差になっていると感じました」と話す。また、陳玉さん(42歳)が「中国でもこれと似たような『干一行愛一行』(「行」は中国語で職業の意味)という言葉をメディアがよく取り上げます」と語るように、自分の仕事にもっと誇りを持とう、という呼びかけが行われるようになった。

事实上,在上海同济大学工商管理硕士课程学习的张艳表示: “当我思考中国人和日本人的区别时,我觉得‘工匠精神’是重要的区别。”此外,陈玉女士表示:“在中国,我们也经常听到类似的‘干一行爱一行''''(‘行''''在中文是职业的意思)意思是为自己的工作感到骄傲! ”。

一方で、上海在住の日本人からは「日本人が全面的に尊敬されているとは思えない」という声も聞かれる。上海の日系企業に勤務する柴崎美紀さん(仮名、46歳)さんは、「長年ここで生活していますが、むしろ日本人としての肩身の狭さを感じています」という。柴崎さんは次のように話す。

另一方面,居住在上海的日本人也说: “我不认为日本人受到全面的尊敬。”在上海一家日资企业工作的柴崎美纪表示:“我在这里生活了很多年,反而觉得自己作为日本人感觉很羞愧。”柴崎表示:

「私は日系企業で総務の仕事が担当で、就労ビザ申請のためによくビザセンターに足を運びましたが、採用予定の日本人応募者の履歴書を見て『なぜこのレベルで通訳ができるのか』と、書類を突き返されてしまいました」

“我在一家日资企业,负责总务工作,因此为了申请工作签证经常去签证中心,当局看到预定聘用的日本应聘者的简历后,以‘为什么需要这样水平的担任翻译?’为由,驳回了资料。”

通訳が必要ならばローカル人材で十分、わざわざ日本から呼び寄せる必要はないじゃないか、というのが当局の言い分だ。背景にあるのは、「中国人の日本語」は「日本人の中国語」よりはるかに秀でているという現実である。

当局认为,如果需要翻译,只要本地人才就足够了,没有必要特意从日本请来翻译。背后的现实是:“中国人的日语翻译者”远比“日本人的中文翻译者”好得多。
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2000年代半ば、雇用が冷え込みリストラの嵐が吹き荒れた時期に、日本を飛び出した若者は「現地採用の即戦力」として上海の日系企業で歓迎された。日系企業にとって客先が日系企業であることが多く、日本流の商習慣やビジネスマナーが身に着いている日本人求職者は引っ張りだこだった。
ところが近年は、日中の商習慣を身に着け、日本語も流暢な「中国人人材」が続々と輩出されるようになった。「欧米への留学経験あり」「3カ国語を話すのは当たり前」、さらには「ITの高い専門性」など高度な中国人人材の出現で、日本人の存在感はかすんでいく。

在21世纪中期,随着就业率下降,裁员风暴肆虐,离开日本的年轻人作为“当地招聘的即时战斗力” ,受到了上海日资企业的欢迎。对于日资企业来说,顾客往往也是日资企业的,因此,具备日本式商业习惯和商务礼仪的日本求职者成了香饽饽。
然而,近年来,随着日中商业习惯的培养,日语流利的“中国人”层出不穷。随着中国人才的出现,日本人的地位逐渐模糊,“有在欧美留学的经验”、“会说三种语言是基本的”,甚至“IT高度专业”等高级中国人才出现。

半導体関連企業の上海子会社に在籍する中国人管理職は、「現地採用や駐在員にかかわらず、海外で競争力を発揮できる日本人といえば、もはや『技術者』だけと言っても過言ではありません」と断じる。
ちなみに、日本人の現地採用者の給与相場は2020年を目前にし、2000年代のおよそ倍になったが、中国人材の紹介を中心に事業展開する上海霓索(NISSO)人力資源服務有限公司の杉川英哲総経理によれば、「海外志向を持つ日本人は、中国よりも東南アジア諸国に目を向けている傾向があります」という。日本では就活生の間でアリババやファーウェイなど中国企業への関心が高まっているともいわれているが、中国では「日本人の求人、応募者数とも大幅に減少しているのが現状」(同)だ。

在半导体相关企业上海子公司工作的中国管理人员表示: “说到能在海外发挥竞争力的日本人,不管是当地招聘还是派驻人员,就算说是‘技术人员’也不为过。”
顺便一提,日本当地雇用者的工资行情在2020年即将到来之际,比2000年增加了1倍左右,但是以中国人力介绍为中心展开事业的上海霓索人力资源服务有限公司,总经理杉川英哲表示: “具有海外志向的日本人比起中国,更倾向于把目光投向东南亚国家。”日本人的求职生涯中,对阿里巴巴和华为等中国企业的关注度正在提高,但是在中国 “日本人的招聘和应聘人数都大幅度减少。”

日中ビジネスに携わる中国人にとって、日本企業からの出張者と一献交えるのも仕事のひとつだ。上海で輸出業務に携わる宋衛平さん(55歳・仮名)は、日頃、日本人ビジネスマンと接して思うことを率直に語ってくれた。
「ビジネスパートナーの日本人と一緒に飲みに行く機会が多いのですが、彼らが進んで支払いを済ませることは稀で、私が会計するのをじっと待っています。ホテルでは、たった10元(約150円)のボーイのチップも抵抗があるようです。日本人の生活の苦しさを目の当たりにすることが増えました」

对于从事中日商务界的中国人来说,与日本公司的出差者一起喝酒也是他们的工作之一。在上海从事出口业务的宋卫平坦率地说出了他平时与日本商人接触时的想法。
“我有很多机会和我的日本生意伙伴一起出去喝酒,但他们很少愿意买单,所以他们一直在等我结账。在酒店里,就连只有10元(约合150日元)的服务生小费似乎也有抵触情绪。越来越多的人看到了日本人生活的艰辛。”

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ビジネスシーンから民間交流に目を転じれば、そこにはまた異なる日本人像が浮き上がってくる。買いたいものを買い、行きたいところにも行きつくした上海の中国人たちは、「日本再発見」の対象を“日本人そのもの”に向けるようなった。その1つが、“日本人の子育て”である。
日ごろから中国人ファミリーと積極的に交流している上海在住の天白舞乃(てんぱくまいの)さん(36歳)は、「周囲の中国人がやたら“日式子育て”を褒めてくれるようになった」といい

如果从商务场面转向民间交流,就会浮现出不同的日本人形象。买了想买的东西,想去的地方也去了的上海中国人,把“日本再发现”的对象指向了“日本人本身”。其中之一就是“日本人的育儿”方式。
住在上海的天白舞乃平时就与中国家庭积极交流,她说:“周围的中国人都夸我的日本式育儿。”
平时与中国人家庭积极交流的居住在上海的天白舞乃(36岁)说: “周围的中国人随意地称赞我养育孩子。”

「中国では親が子供の学生鞄を持つのが普通ですが、『日本人は自分で持って通学するんでしょ』と感心されます。電車通学する小学生が静かに読書をする姿を目撃した中国人は、『すごいよね』と驚嘆しています。去年、うちに遊びに来た中国人の友人は、冬の室内で靴下を脱いではしゃぐ息子を見て、『これが日本の教育だよね』と言ってくれました」
上海では、冬は子供に厚着をさせるという根強い習慣があるが、運動能力をそぐといったマイナス面も存在した。学校への送り迎えは親が付き添い、その荷物を親が持つのは、宿題山積みの我が子の負担を少しでも減らしたいという親心からだ。過去には誘拐事件が多かったことで、親は神経質になった。何より、1979年~2015年までは「一人っ子政策」だったのだから、親は「たった一人の我が子」に対して過保護にならざるを得ない。

“在中国,父母一般是帮孩子拿书包,是很正常的事情,但是‘日本人是让孩子自己带着书包去上学的''''令人佩服。”看到上电车后的小学生安静地读书,中国人感叹道‘很厉害啊''''。去年冬天来我家玩的一位中国朋友看到儿子在进室内前脱掉袜子,非常高兴,对我说“这就是日本式的教育吧。”
在上海,人们有着冬天给孩子穿厚衣服的习惯,但也存在减弱孩子运动能力的负面因素。接送孩子上学由父母陪同,父母带着孩子的书包是为了减轻孩子的负担。过去有很多绑架案,这让父母们很紧张。更重要的是,在1979年至2015年期间,都是“一胎政策” ,因此,父母对“唯一的孩子”只能给予过分的保护。

日中の違いにはこうした風土や社会的背景の違いがあるが、近年の中国人に「学ぶべきは学ぶ」という虚心坦懐さが強く表れるようになったことは、大きな変化だといえる。
1940年代生まれ――現在70代の中国人は、日本人に対してかなり用心深い世代だ。上海でも「身内が日本軍の犠牲になった」という家庭は少なくない。上海市閔行区に在住の趙偉峰さん(仮名、70歳)もそのひとり。「日本軍から命からがら逃げた」という親の記憶を語り継がれて育った世代だ。

虽然日中两国的风土和社会背景存在着差异,但是近年来中国人强烈表现出了“该学的就要学”的开放态度,可以说是发生了很大变化。
出生于20世纪40年代,现年70多岁的中国人对日本人相当谨慎。在上海也有不少家庭“亲人被日军杀害了”。居住在上海市闵行区的赵伟峰(70岁)也是其中之一。这一代人部分成长的过程中,流传着父母“从日军手中逃脱”的记忆。

その趙さんには、捨てられない“思い出の傘”がある。2017年に日本を訪れた際、ある日本人からもらったビニール傘だ。
趙さんは今、筋肉が硬直して歩行が困難になる難病を患い、苦しい闘病生活を送っている。発声能力もかなり低下してしまった夫に代わって、妻がビニール傘の話をしてくれた。

对于赵先生来说,有一把无法舍弃的“回忆之伞”。这是2017年访问日本时,一位日本人送给他的塑料伞。赵先生现在患有肌肉僵硬走路困难的难治之症,正在与病魔作斗争。语言能力也下降了,妻子代替他说了很多丈夫关于这把塑料伞的事。

「2年前、まだ少し歩くことができた夫を連れて、これが最後の旅行と覚悟して日本を訪れました。体への負担を考えて選んだのが、博多と釜山をめぐるクルーズツアーでした。太宰府を観光した際、私の肩につかまりヨロヨロとしか歩けない夫を、どこかの商店の奥さんが見ていたのでしょう。後ろから追いかけてきて、ビニール傘を差し出してくれたのです。『杖の代わりに使って』と、身振り手振りで示してくれました。あわてて財布を取り出して代金を払おうとすると、『いらない、いらない』と手を振って、彼女はそのまま走り去っていきました。その傘を、夫は今なお宝物のように保管しているのです」

“两年前,我带着还能走一段路的丈夫,做好了这是最后一次旅行的心理准备,来到了日本。 考虑到对身体造成的负担,所以选择了博多和釜山的巡游。我们在太宰府观光的时候,我猜是商店老板的妻子看到了我的丈夫,当时我正扶着他,蹒跚而行。他们从后面追过来,递给了我一把塑料伞。她用手势告诉我‘用它来代替拐杖’。当我急忙掏出钱包准备付钱的时候,她挥了挥手说: ‘不用,不用'''',然后她就这样跑开了。丈夫仍然把这把伞当珍贵的东西保存着。”

妻によれば、趙さんはそれまで頑なに「日本にだけは行きたくない」と言っていた時期もあったという。だが、この最後の訪日旅行が、趙さんの心の中の“日本人像”を大きく変えた。
同じ東アジア人で、見た目はそっくり。けれども互いに異なる点がいっぱいある――。私たちが中国人に対して果てしない関心を抱くように、中国人もまた日本人に無関心ではいられない。ときには失望したり、ときには再発見に感動したり。恐らく日本人と中国人はこれを連綿と繰り返す“間柄”なのかもしれない。

据他的妻子说,此前赵先生曾坚决表示“唯独不想去日本”。但是,这次最后的访日之旅,却大大改变了赵先生心中的“日本人形象”。
同样是东亚人,看起来一模一样,但是有很多不同点。就像我们对中国人无止境的关心一样,中国人也不是对日本人漠不关心的。有时会失望,有时又会被体谅所感动。我想日本人和中国人是一种不断重复的“关系”吧。